画家と写真家はどのように戦争を見つめ、表現したのでしょうか。
戦後70年という節目の年に、世田谷美術館収蔵品から、宮本三郎(1905-1974)、向井潤吉(1901-1995)、久永強(1917-2004)、師岡宏次(1914-1991)の4人の作品に焦点をあて、戦争という特殊な体験が反映したそれぞれの作品をご紹介します。
宮本三郎と向井潤吉は、戦前に渡欧し西洋美術とじかに接し、ともに二科展で作品を発表していた洋画家です。二人はそれぞれ従軍画家として戦地に赴き、現地での緊迫した空気や兵士たちの表情をスケッチで残すほか、数々の作戦記録画を軍部より依頼され制作します。戦後、それぞれの戦争の記憶は作品の中に取り込まれていきました。宮本は「痛ましい悲劇的な前代」をテーマに据え、現代のピエタとして《死の家族》を描き、そして向井は、不安と喪失感に怯える復員兵の姿を《漂人》として描きました。
久永強が自らのシベリア抑留体験を絵画として表現し始めるのは74歳、戦後30年以上経てからのことでした。熊本県でカメラ店を営み、クラシックカメラでは修理の名人と知られていた久永は、60歳で初めて絵筆を取り、香月泰男の「シベリア・シリーズ」との出会いを契機に、自らの体験を描くことを決意します。《お化け茸》は空腹に苛まれていた捕虜たちが血眼で発見した最高のごちそうであり、久永はこの光景を、極限に身を置く人間の心理として描き出しました。
師岡宏次は、写真雑誌や海外宣伝雑誌の編集者でしたが、戦後にフリーの写真家となりました。不安と戦争の重圧を感じる戦時中、フィルムを疎開させるために武蔵野の農家に度々通い、農作業に励む人々や自然の姿に救いを見出し、撮影を重ねました。また終戦直後には、荒廃した銀座の様子を冷静な眼差しで捉えています。
本展を通じ、戦争という過酷な状況下で制作された作品をご覧いただくとともに、時の経過のなかで、それぞれの作家が心の内に醸成した戦禍への想いを感じとっていただければと思います。