昇華する鉄
前田哲明の作品は特異な形状をしており、人の背丈をはるかに超える大きさがある。あえて譬えれば、生命の誕生を秘めた、深海の地底から水蒸気や熱湯と一緒に噴き上げるマグマによってできた群落、ホット・スポットのようだ。また、情報の錯綜する現代にあっては、個々の記述に左右されることなく、メディアによる異なった報道を総合的に判断し、自らの確信を得ることの必要性を暗示しているようにも思える。細部を見れば、複雑なテクスチュアが目に入り、それぞれは肉厚の鉄板を溶断し、その後溶接を施した柱とシリンダー、それらの鉄材が抱える空間に強く引き寄せられる。離れて、木を見ずして森を見れば、壮大なスケールをもって複合された、天に向かう力強い指向性が読み取れる。それはふだんの生活では出会うことのない、初めて目にする鉄の彫刻である。
はたして、そのような独得な形はどこから生まれてきたのだろうか。前田のアトリエを訪ねて、毎日描いているというドゥローイングを見せてもらった。それは、ワトソンやファブリアーノ紙を綴じたスケッチブックの見開き、また大きなパステル帳の一頁であった。画面にアクリル絵具や水性色鉛筆で気の赴くままに線描し、水をたっぷり含ませた筆や霧吹きを用いて擦ったり、滲ませたり。そこには、ウルトラマリン・ブルーの顔料が紙の荒い凹凸をなぞりつつ、変幻自在な姿を見せていた。
ふつう彫刻家の素描といえば、立体を想定して強い筆圧で光と影を優先させることが多いのだが、前田のドゥローイングはあくまで心を無にして、感性を遊ばせているかのようなのだ。立体の作品は、つくる過程で重力と同程度に素材になっている物質を考慮しなければならない。正確な設計図でなくとも、ある程度事前に作業の段取りをつけて置かないと様にならないのだ。なので、立体作品ばかりを前にしているとどうしても考えが先行し、意外な発想ができない。
そこで前田は、観念にとらわれずに感じるままを表出しようと、彼なりの手法でドゥローイングを手掛けているのだろう。それらの所作は、シュルレアリスムの自動筆記に近いが、偶然だけでなく自然の流れを取り込むという姿勢なのである。実際、多くのドゥローイングの中から新たに着想し、二次元の平面から三次元の構造物へ、空間の中にそれらを位置づけて行った。今回の作品では、林立する柱や筒の間にいくつもの蹴鞠のような球体が現われ、上昇する動きに加えて、新たな命を宿すことに成功している。
大橋紀生