猪熊弦一郎は画家人生の大半を海外で過ごしています。1955年からおよそ20年間をニューヨークで過ごし、健康を害した後年は亡くなるまで毎年冬の間をハワイで暮らしました。
1955年世界旅行に旅立った猪熊をこの地に留まらせたのは、40年代から50年代にアメリカで起こった抽象表現主義の動きでした。そして、それ以上に驚愕させられたのは、ニューヨークにそびえたつ高層ビルの数々でした。その頃のニューヨークは、東京ではまだ見られなかった高層建築物が注目された時期にあたります。インターナショナルスタイルと呼ばれる、ガラスと鉄、コンクリートでできた箱型のシンプルな形のビルが次々と建設されていました。都市に魅了された猪熊はいつしか都市の姿を描くようになります。60年代半ば、白と灰色、もしくは白と紺で描かれた短い線が画面を埋め尽くし、建物が林立する町並みを俯瞰図的に描いたようなこれらの作品は、当時「かすりのような」とか「畳目のような」と表現されました。その後の70年代半ばまでの作品では緑色、黄色、青色一色で塗りつぶされた画面に、高層ビルをモチーフとした形態が並べられ、空間を意識した作品制作がなされています。
ところが、ハワイに居を移したのと同時に作品にははっきりとした変化が生まれています。健康のために移り住んだハワイの温暖な気候と明るい太陽の影響だともいわれていますが、作品はこの地でさまざまな色彩を取り戻しました。また、作品から梯子状のモチーフは減少し、代わりに角と丸の組み合わせが画面構成の重要な役割を果たすようになります。角と丸は、細胞のようであり、また箱(=家)の中に住む人間を想起させ、より個を意識したものに感じられます。これもまたビジネスの街ニューヨークとは異なる環境、人と人との関係がより親密でゆったりとした時間の流れるハワイの土地柄のせいかもしれません。
二つの土地で猪熊は「都市」、あるいは「街」を描き続けました。それらはもちろん現実に存在するものではありません。これらの作品に対峙するとき、人は「地図ではない地図」「の上をさ迷いながら内面世界へと導かれるでしょう。
今回の展覧会では、ニューヨークと晩年を過ごしたハワイという二つの土地で制作された猪熊の心の風景画とも言える作品をご紹介します。