ある季節ずっと咲いているように見える花も、実は短いスパンで入れ替わっており、そのように普段見えている様々な形は実態があるようでなく…。その曖昧な視覚は、花などだけでなく人間の存在の有無さえも同じように捉えている。
私が使用する岩絵の具は他の顔料より粒子が粗く、画面の中でまるで生きているように重なり混ざり合いながら美しいハーモニーをかもし出す。描いている人体も背景も形となり無形となり、流動する粒子はいつでも何物にも変化できる状態で存在しているようにも感じる。まるですべての物質を作っている素粒子のように…。
連綿と繰り返される人間の生そして死、またすべての物質が「生マレ出ズルコト」は、実はその素粒子が流動し変化した今の時点での現象であるに過ぎない。限られた命の時間の中、生という奇跡を感じることで、今を生きることが少しでも豊かになるようにと願い…表現する。