歌川広重(1797~1858)は風景画の名手として今日高い評価を受けています。しかし、彼が風景画の世界を知るまでには様々な分野の作品を制作していました。文政年間(1818~30)には役者絵や美人画や版本の挿絵などを手がけ「若女絵師」として知られていましたが、文政末年頃の葛飾北斎が制作した「冨嶽三十六景」の成功に影響を受け、風景画の道に進むことになります。北斎はその後も風景画を制作し、役者絵、美人画に続く新しい分野としての風景画(名所絵)の礎を築きました。広重は北斎の後を追うように天保(1830~44)初年「東都名所」(一般に一幽斎がき東都名所)を制作し好評を得て、天保4年頃に制作した「東海道五拾三次之内」(一般に保永堂東海道)は広重の代表作となりました。その後、江戸の名所を描いた「東都名所」、「江戸名所」シリーズを制作しました。さらに嘉永年間(1848~54)の番付「当代全盛高名付」に「にかほ豊国」「むしや国芳」「めいしよ広重」と載るようになり、この時期には風景画の第一人者として位置づけされています。晩年には大作の「名所江戸百景」(大判118枚)を制作していましたが、途中で没してしまいます。
この度は、今から約200年前の江戸の名所を広重の作品で鑑賞しながら、当時の江戸人になった気分を楽しんで下さい。