工芸には、本来的に、人が叶えたいさまざまな思いが託されています。たとえば「納める」「包む」「運ぶ」など、自らの身体をもってするよりも高い実現性をともなって、たどりついたところに工芸のかたちがあります。そうして作られたものは行為を効率よく転換していっただけではありません。早い時期からそこには美の概念が混入していました。自然の事象を身の回りに置くものの上に写し取ろうとする趣向は、そのあらわれのひとつとしてみなすことができるでしょう。古くから伝わる文様、芝草に宿る露や亀甲、また動植物をかたどった容器などは、時を経てなお色褪せない魅力に満ちています。視覚的な快が望まれた機能と交錯しながら指す方位に、工芸の地平が広がっているのかもしれません。
自然が関与したと思われる作品は近代以後も試行されています。写生の重要性を説く声もしばしば聞かれましたが、単なるヴァリアントへの欲求を越え、制作とより深く結びついているのが過去との違いです。かつて染色家の稲垣稔次郎は「私は一つの牡丹を描いて、雨の日の牡丹、風に吹かれている牡丹を想像してもらうしかない。だからそのすべてが含まれている典型(パターン)を探っていき、牡丹というものの象徴化されたものを作るのが紋様だ」と語りました。彼の作品を前にすると、従属した要素ではない、自律性をもつ創作の対象として文様を捉える意識が、現実の花から仕事へと視点が移行する過程で強く働いていたことが窺えます。
現在では、写生に依らず、直接素材に触れた経験のなかから作り上げていく例も少なくありません。彼らにとって、自然はもはや手本や源泉ではなく、素材の本性と作り手の思念とが技法を通して築く造形の道において、その生成と相似的関係をみいだすのです。
今展は、東京国立近代美術館所蔵より、自然のモチーフによる作品を約100点選びました。それぞれの素材や技法が織り成す「景色」とともに、多様性をもって展開する今日の工芸の諸相をご覧下さい。