郭徳俊の新作に寄せて
1980年代から続く「無意味」シリーズは、郭徳俊の作品の中でもひときわ異彩を放っている。と同時に、郭徳俊という人間の一面がストレートに描き出された作品群である。彼を知る人であれば、ここには、社会に対して常に疎外感を抱きながら歩んできた彼の人生そのものが映し出されていると感じることだろう。「無意味」シリーズが始まる以前、1960年代にも、郭徳俊は集中的に絵画を描いている。石膏で厚く盛り上げた抽象的な画面からは、病によって死を覚悟した青年の絶望と生への渇望とが、無言の叫びとなって見る者に迫ってきた。「無意味」とは、彼がそこから得た人生訓である。何も期待しない、何事にも執着しない。すべては窓の外を移り変わる景色のように、自分の目の前を徒に通り過ぎるだけである、と。
絵の中にいつも登場する、後ろを見ながら足早に歩く男。そこにニヒルでシニカルな作家自身の人格をダブらせることができるだろう。一見コミカルな画面から滲み出てくるのは、悲しみの先にある虚無的な微笑である。そして男はこう口ずさむ。「サテサテ、ハテハテ、無意味、無意味」と。男は歩き続ける。2015年の今現在も。われわれはそれを彼の最新作の中に確認する。それは混迷する現代社会の中で貫かれた芸術家としての姿勢であり、郭徳俊が、われわれと同時代を生きているという当たり前の現実が、その堅牢な画面を通して実感されるのだ。
安來正博 (国立国際美術館主任研究員)