原田は素 (も) と淡きこと水の如き人なり。
余平生甚だこれを愛す。―森鴎外『独逸日記』より
原田直次郎[1863(文久3)~1899(明治32)]は、江戸に生まれ、子どもの頃からフランス語を学ぶなど、西洋文化に触れて育ちました。やがて西洋絵画を学ぶため、高橋由一に師事し、1884(明治17)年にドイツのミュンヘンに留学します。
ミュンヘンでは美術アカデミーで研鑽を積み、画家のガブリエル・フォン・マックスにも師事しました。また、ドイツで出会った森鷗外と生涯にわたる友情を結び、鷗外の小説「うたかたの記」のモデルにもなっています。
1887(明治20)年に帰国すると、日本では伝統的な美術を保護し、西洋絵画を排斥する動きが高まっていました。原田は「西洋画は益々奨励すべし」と奮闘し、東京・本郷の自宅に画塾「鍾美館」を開いて指導するとともに、展覧会への出品を通して、西洋絵画の普及に努めます。わずか36歳で夭折したため、画家としての活動期間は短いものでしたが、ミュンヘンで描いた《靴屋の親爺》の圧倒的な描写力は、原田が西洋絵画の本質にいかに迫りえたのかを物語っています。
この展覧会では、原田直次郎の初期から晩年にいたる作品や資料とともに、師弟関係や親交のあった画家の作品も交えて、その軌跡をたどります。原田直次郎の回顧展としては、森鷗外が1909(明治42)年に開催した遺作展以来、およそ100年ぶりとなります。