世間的な名誉も経済的な成功も求めず、ひたすら自分の信じる道を歩き続けた画家がいました。その歩みは平坦なものではなく、常に挫折と絶望を意識しながらの生涯でした。深い孤独感に悩むこともあったでしょう。しかし、画家はその歩みを止めることはありませんでした。ささやかな身辺を、庭の木を訪ねる鳥たちを、そして朝になれば昇る太陽を、誰にほめられるためでもなく、自分に納得のゆくまで描き続けたのでした。
平澤熊一(ひらさわ くまいち)は1908(明治41)年、現在の新潟県長岡市に生まれました。建築を志して上京しますが、絵画に関心を抱き、川端画学校で洋画を学びました。1930年代には台湾に長期滞在しています。帰国後は東京に住み、池袋周辺のアトリエ村では麻生三郎や井上長三郎ら新人画会のメンバーと交流しています。戦後、妻の出身地である宇都宮に移り、自ら設計したアトリエを建て、後半生をそこで送りました。絵画研究所を主宰し生徒を指導しましたが、公的な職に就くことはなく、経済的な困難の中でも生涯画家を職業とし、1989(平成元)年に81歳で死去しました。
この展覧会は昭和という時代にほぼ重なる平澤熊一の画業を油彩・水彩・素描約120点により回顧するものです。地方にあって中央の画壇と交渉は持ちながらも距離を置いて制作を続けた平澤の画業には、地方で文化活動を行うことの困難さとともに、地方でこそ生まれる豊かな実りを見出すことができるでしょう。