妻は空気・わたしは風
井上長三郎(1906-1995)は神戸に生まれ、大連で育ち、中学校を卒業後上京し太平洋画会研究所で学びました。彼は「池袋モンパルナス」と呼ばれる地域に暮らし、戦前はフォービスムやシュルレアリスムに影響を受けた絵を独立美術協会展、美術文化協会展を中心に発表しました。彼の戦中の作品の中には厭世的だと言われ、出品を撤回されたものもありました。戦争画一色の時代になっても彼は画家仲間である靉光や鶴岡政男らと共に1943年に新人画会を結成し、展覧会を開きました。そして、戦後は自由美術家協会に参加し、ヴェトナム戦争などの事件を描いた絵画や、礼服姿の議員たちを風刺したユニークな絵画を残しました。
井上照子(旧姓:長尾、1911-1995)は京城(現・ソウル)に生まれ、女子美術専門学校で学び、朝鮮美術展覧会や独立美術協会展に出品しました。彼女は、疎開や子育てのため、画業を中断した時期もありましたが、戦後は長三郎と共に自由美術家協会に参加し、植物や自然に着想を得た、色彩豊かな抽象絵画を発表しています。
2人は、結婚と同時に1938年から40年にかけて共にパリに留学し、帰国後は池袋、疎開を経て、戦後は1995年に亡くなるまで板橋区で暮らし、共に描き続けました。長三郎は、照子との関係について「彼女は空気でわたしは風」と語っています。同じ屋根の下で描かれた2人の画家の作品は、日本の近代絵画の中で独特な存在感を放っています。本展は、井上長三郎、照子夫妻の作品を初公開の資料と共にご紹介するはじめての展覧会です。