風薫る5月、爽やかな季節の到来です。5日は端午の節句です。元々は5月端(はじめ)の午(うま)の日に厄を祓い無病息災を願う行事で、大化の改新の前後に中国から伝わりました。しかし旧暦の5月は、じめじめとした流行病(はやりやまい)の多い忌月(いみづき)でした。端午に採った薬草は効能が高いと信じられ、『日本書紀』611年5月5日に推古天皇が大和の菟田野(うだの)で薬猟(くすりがり)(薬草採取)をしたという記述が見られます。
その後、泰平の世となった江戸時代には、端午の節句は厄払いより男児の節句という意味合いが強くなります。武家にとって家を継ぐ男児の誕生は最大の慶事だったからです。江戸では、庶民といえども、7歳以下の男児のいる家では、端午の節句にわれもわれもと作り物の兜や幟旗を戸外に立てました。続いて内飾りの五月人形も登場します。
今回展示するのは京都製の人形で、鎧下(よろいした)の烏帽子(えぼし)直垂(ひたたれ)姿の応神天皇と武内宿禰(たけのうちのすくね)です。江戸では勇壮な姿の人形の人気が高いのに対して、関西は温和な趣を好みました。兜を着用せず、穏やかな表情の天皇とそれを見守る長寿で名高い宿禰です。男児の健やかな成長と長寿を願う思いが伝わる人形です。