「雪月花」という言葉の通り、自然美を代表するものとして雪を描くことは日本画において最適なように思われますが、竹喬にとっては少し事情が異なるようです。いわく、北国の冬は囲炉裏端に集まる人物などを題材とするには良いものの、雪景色などは「景色とすると案外表現の上は余り単調になり易い」(京の冬よもやまを語る―翠彩第1回座談会 昭和15年1月)。
このことは、竹喬の描く冬景色に雪が全く見られないということではありません。降雪の明くる朝の清々しさや、樹木に積もる雪のふんわりと柔らかな様子を扱った作品など、少なからず目にすることが可能です。しかし、やがて巡りくる春が仄めかされているような作品にこそ、竹喬独自のものが表れているように思われませんか。寒空の下の裸木に芽吹きの気配が漂っていたり、樹木の根元から解け始めた雪が捉えられていたりすると、そこから先の季節がふと連想させられるものです。
竹喬は、描く素材は冬から早春が一番よいと考えていました。この度の展示では、竹喬がこれらの季節をどのように捉えたのか、また、春へと向かう変化をいかに表現したのかに注目して、下絵やスケッチを含む約70点を選びました。待春の思いを竹喬と共有していただけましたら幸いです。