洋画家・宮本三郎(1905-1974)は、抽象絵画からの影響が垣間見える1950年代後半の作品を経て、1960年代に入ると、ネオンが輝く東京の夜景や、女優、踊り子、バレリーナといった都市の中で生きる人たちの姿を集中的に描きました。1964年の東京オリンピックでは、国立競技場モザイク壁画の原画制作も担当し、宮本は敗戦後の復興に伴走するように、東京という都市に生じる新たな文化のありさまを表現しました。そして、晩年の宮本がたどり着いた主題は「神話」でした。「裸体を線やボリュームや肌色の美しさばかりでなしに、もっと人間的な、恋情や慕情の対象としての、あの素晴らしさで描き度いとは前々からの悲願でした」と語ったように、宮本は生涯のテーマである人物画を展開させるため、新たな主題に踏み切り、あざやかな色彩による作品群を誕生させたのです。絶筆《假眠》(1974年)の色彩と人体がとけあうかのような描写からは、宮本最晩年の到達点を感受することができます。
宮本の画業を顧みると、ひとつの画風に飽き足らず、変転する時代に呼応しながら、積極的に作風の展開を試みていることがわかります。ただ、その展開の裏に一貫していたのは、宮本が夫人に「絵画は人間を扱うことから次第に遠ざかってきている。文学はいまでも人間を描き続けているんだ。人間との対決は絵画でも永遠のことだ」と語っているように、人間を表現し続けることにほかなりませんでした。宮本三郎の絵画が絢爛な色彩の神話世界にいたる道程と、そこに生きいきと描かれた人間像の数々をご覧ください。