1923年欧遊の帰途にあった中沢弘光は同船に乗り合わせた川島理一郎と出会いました。互いに話を深めるうち、混迷にあえぐ当時の日本洋画壇の将来に心をいため、ここに正当な美術研究団体を結成し友人同志を誘って相互研鑽の場とする新団体の発足を誓い合いました。
中沢弘光は、その時インド洋上で仰いだ白日に輝く太陽にちなみ新団体を「白日会」と命名し、1924年正式に結成されました。発足後は時局の影響を受け、また様々な紆余曲折を経た後、前会長の伊藤清永(文化勲章・1911-2001)、小堀進、平松譲、彫刻の中村晋也(文化勲章)等を中心に、健全、自由な具象作家の集団という創設の意図を受け継ぎながら独自な時歩を築いてきました。
そして現在は、平成14年(2002)に会長に選出された中山忠彦を中心に、先達の精神をさらに確かなものにしつつ、伝統的な技法や表現の尊重、対象への真摯な姿勢、新時代に向けた自己に根ざす誠実な取り組み等を、本会の結成以来一貫して標榜し続けてきた写実の一語に凝結し、日ごとその研鑽に励み、作家それぞれに新しい写実を追求し続けています。