日が昇れば、地上は太陽の光に包まれる。夜でもスイッチを入れれば、照明は光を発する。光とはそんないつもあるものなのだが、人は光に引かれ、光を恐れ、光を……
さらに都会は光にあふれている。光あるところには影が落ちるのだが、ビルに囲まれた街では、反射でそんな影までもが明るく光る。そんな明るい街で生活する人でも、やはり光を求めている。
私が、光に目を向けたのは、一昨年、合唱団でフォーレの「レクイエム」を歌った時のことだ。練習の時に、指導の先生から、「ここは天上にさす光のような響きをください」といわれ、声を合わせて、そんな響きを目指した。
池袋の教会のホールを練習場に借り、みんなで声を合わせて、何度も繰り返して練習しているうちに、響きが少し美しいものに変わってきた。その瞬間、響きの残る教会の天井に少し光がさしてきた気がした。その時の感動は今も忘れない。その時「天上にさす光のような響き」のイメージを絵で表せたらという思いが生まれた。
それ以前も、描く上で、光はいつも注意を払う対象ではあったが、天上にさす光のように、光そのものに目を向けることはなかった。しばらくは身近なところからと、雲の間からさす光や、木々の下におちる木漏れ日などをみつめていたが、そこには天上にさす光につながるものはないように思えた。
それでは、どこに?
もう一度、あの時、感じた光を思い出してみた。それは、もしかしたら目に見える光を通して、実は、うちにさす光を求めているのかもしれない。今まで求め表してきた表現をがらりと変え、さらに色彩をおさえて黒地に白で描く形に切り替え模索を始めた。