ぶどう棚の連作について
私がアトリエ近くのぶどう園を描いていたのは、1977~93年である。どこにひかれたのかと聞かれて、枝の動きが面白いとか、鉄線が美しいとか答えてはみるが、どうも的を得ない。言葉には出来ない何かが、私をひきつけていた。
そして、それは一体何なんだろうと思うことが、私に絵を描かせていたような気がする。ある時、ぶどう棚を吹き抜ける風の音であったり。またある時は、皮のむけた幹の白々とした人膚のような感触であったり、苦しみ嘆く人の姿であったり、からまり合う枝からもれる叫びであったりと、全くとりとめもなく混沌としていた。
遠くからの眺めは紬のように美しく静かだが、近くで見れば、生々しい生物のように生命感に満ち満ちていた。人間以上に人間くさい表情をしている樹なのである。
「禅と美術」これが私の卆論のテーマであった。東洋と西洋の空間感覚の捉え方の違いを追及したものである。ぶどう棚以降、制作の題材は変わっていったが、空間のこだわりは、今も変わっていないことに驚いている。
中島佳子 (主体美術協会会員、風景の会同人)