碌山美術館では、荻原守衛(碌山)の系譜に連なる作家の展覧会を継続して開催してきました。日本近代彫刻の先覚者・碌山以来、彫刻の正統がいかに受け継がれ展開されたかを検証するためです。
このたびは、基俊太郎 (もとい しゅんたろう) (1924~2005年)を取り上げます。
奄美大島に生まれた基は、18歳で上京、東京美術学校で石井鶴三 (つるぞう) に学びます。石井に認められ、昭和28年藝大石井教室の助手となり、藝大に委嘱された法隆寺金堂雲斗雲肘木の復元事業、また助教授の笹村草家人 (そうかじん) が敏腕を揮った碌山美術館設立にも関わりました。碌山美術館の尖塔にある、天へ向かって飛翔する《フェニックス》は、碌山の精神が永遠なることを象徴し基が制作したものです。基は、石井が主導していた日本美術院彫塑部(院展)に出品を続けました。この彫塑部は、石井が青春時代に中原悌二郎や戸張孤雁らとともに研鑽を積んだところであり、基もそうした流れに棹差していたのです。やがて、昭和25年には《杉山晸勇像》で院友、同30年には《夏の人》で同人に推挙されます。昭和36年の日本美術院彫塑部解散以降は、特定の団体に属することなく、制作をつづけました。
基の造形意思は広く、具象的作品から抽象性の高い作品まで、それは彫刻、絵画にとどまらず、建築、造園、家具をも視野に収めるものでした。このたびは彫刻、版画、スケッチを中心に基が追求した造形の世界を紹介いたします。