昭和21年、金沢美術工芸専門学校(現金沢美術工芸大学)の開校にあたり、郷里に疎開していた宮本三郎は洋画科で教鞭を執りました。第一期生として入学した鴨居玲は、父の知人であった宮本に師事し、深く傾倒して教えを受けます。創立メンバーの一人として宮本が二紀会を結成すると、鴨居は在学中に初入選を果たし、早くもその才能を開花させます。そして二人は生涯にわたる師弟関係を結びました。
昭和30年代に入ると、抽象画の波が日本の美術界を席巻します。高度な描写と具象を主とする宮本にとって、苦悩の時代が訪れました。二紀会を牽引する宮本は、会の存続と若手育成に携わりながら、画家として独自の表現を求め研鑽を続けます。画面には抽象画の研究で培ったマチエールと鮮やかな色彩が加わり、やがて生命賛歌をテーマとした華麗な裸婦の連作へと展開します。
一方の鴨居は自身の絵画世界を追い求めて模索を続け、海外を放浪。スペイン滞在時に充実期を迎え、独自の境地を開くものの、その後の制作は不調が続き、自ら闇に陥るようになります。深く暗い色調の中にわずかな光を求める作風は、師の宮本とは対照的といえます。二人の作品は見るものを惹きつけて離さず、年月を経た現在でもなお私達を魅了してやみません。本展では、石川県洋画を語る上で欠かせない存在となった二人の画業を、約50点の作品と遺品によって紹介いたします。