洋画家・宮本三郎(1905-1974)の画業を俯瞰すると、1940年代から1950年代は、作品がとりわけ変化した時期にあたります。宮本は、戦争の勃発によって初の洋行から1年も満たずに帰国し、戦中は軍部からの命を受け南方各地に従軍、国威発揚を目的とする戦争記録画の制作に従事しました。当時の宮本にとってそれは「生き甲斐のある」仕事であり、日本ではまだ歴史の浅い洋画を国家に役立たせるまたとない機会であったと言えるでしょう。報道写真を下敷きにしながら、高い評価を得ていた素描力と、従事先での丹念な取材に基づいて制作された宮本の戦争記録画は評判を呼び、その名を一段と知らしめました。本展では、《飢渇》(1943年)や従軍先でのデッサンなど宮本のリアリストとしての力量が十分に発揮された作品をご紹介するとともに、宮本が疎開先で終戦近い時期に描いたと思われる戯画《小供角力》も初公開いたします。
従軍画家として戦時期を生きた宮本にとって、1945年8月の敗戦は、自らの制作のありようの大きな転換を迫られたものだったに違いありません。画家としての再出発とも言うべき戦後の制作を、宮本は疎開先の故郷・石川県でスタートさせますが、その時期の作品は、戦中とは似ても似つかない静穏な色調で家族や風景を描いたものでした。そして、1948年5月、世田谷の自宅に戻り、裸婦や静物など従来の主題に取りかかってからは、そのスタイルをめまぐるしく展開させます。それは、自身の環境や日本社会、美術動向などの変化に宮本が真摯に対峙したがゆえに起きた、挑戦と苦悩を伴った展開であったと言えるでしょう。
本展では、宮本三郎が戦中から戦後への時代の大きな転換期を画家としてどのように生き、絵画で表現したのかを、その時代背景とともに探ります。