大正デモクラシーと呼ばれる自由主義思潮が拡がった時代、山深い信州にも新しい教育思想に芽生えた教師たちが現れました。その中の白樺教師と呼ばれた一群の青年教師たちは、児童の感性を育むことを最優先にした教育を実践しています。
彼らは名画や彫刻の複製図版を買い求めては教室に持ち込み、生徒たちに芸術の素晴らしさを語り、ガリ版刷り(謄写印刷)の小冊子を作っては教材にするなど工夫を凝らした授業を行っています。また、課外教育にも力を入れて、安曇野では日曜日に学童を連れて荻原守衛の彫刻を展示する「碌山館」の見学を行っていました。
このような自由教育の広がりの中で、県議会、役場、父兄側と白樺教師との間で騒動となった戸倉事件(大正8年)、翌年の倭事件などが起きています。その当事者となった白樺教師赤羽王郎、中谷勲らは排斥され信州教育の現場から追いやられてしまいます。白樺教育を先導していた赤羽はそれでもなお教育への情熱を失うことなく雑誌『地上』を刊行するなど情操教育の啓発的活動を継続しています。
この度の企画展では気分教育と揶揄されながらも教え子たちへの比類なき愛情で、情操教育に身を賭した白樺教師たちの事績を紹介します。