今展覧会では、神山貴彦、貴志真生也、佐藤克久、杉本圭助、谷中佑輔の5名をご紹介致します。 初紹介となります神山貴彦は空間とオブジェクトの間に生じる関係性を丁寧に拾い、それをさりげなく提示してみせるようなインスタレーション作品を中心に制作しています。儚げな色彩、物憂げなオブジェ、その穏やかな間合と佇まい、それらの要素が響き合うことで詩的な空間を作り出します。 貴志真生也は、制作のプロセスにおいて、手順や方法論に偏重した作業から結果として発生した造形が作品として提示されるという、立体/インスタレーション作品を制作しています。発砲スチロールや規格品の材木などを素材とし、そこに加えられる無目的かつ無意味にさえ思える作業の痕跡、取り繕うことのない過程の在りのままが露見し、その整理されつつも異様な様相は観る者から評する言葉を奪い去ります。貴志は現在、京都の児玉画廊において個展を開催中です。 佐藤克久は、制作の一挙一動に細やかに心を砕いた絵画を制作しています。一見、明瞭で簡素な作風であり、その明るく親しみやすい部分に目を向けていると見逃してしまう、構成、色彩、行程、絵画のあらゆる点の全てにおいて熟慮されていることを示すディテールにこそ真髄があります。「神は細部に宿る」とは良く言ったものですが、単純と思わせる画面の深部に、ささやかな主張を秘めて見せるのです。 杉本圭助は、パフォーマンスから平面、インスタレーションまで総括した制作活動を行っています。最新シリーズの絵画作品「マネキン」では、木製バネルを2~3色のアクリル絵具で何度も全面塗布し数ミリの絵具の層として厚みを持たせて、最終的に彫刻刀でグリッドラインが切り込まれています。そしてその切断面をさらに注視すると、各層の絵具の乾燥度をコントロールすることで故意に作られた微細なクラックが見え、すぐそこにあるけれども表からは伏せられた別の平面上にある何某かの表情、その存在の片鱗を予感させるのです。 谷中佑輔は、何かに触れること、またその触れるという行為における対象物との距離をテーマに彫刻的な作品を制作しています。例えば「山の稜線に触れる」ということは現実には不可能であっても、感覚的には可能で、山並みの岩肌や樹々の梢をそっと手で触れる感覚を視覚によって得て、それを物質化するのです。視覚、触覚、物質の間で、谷中の身体感覚が幾度となく拡張し分散し、作品として統合されるのです。「触れる」ということのリアリティはあまりに饒舌であるがゆえに、その在り方をほんの少し揺さぶられると、物が在るように在るという自明についてさえ揺らいでしまうのではないかと思わせられます。 今展覧会は、作品が在ること、そしてその佇まいから一体何を感ずるべきなのかを思考するためのものです。ミニマリズム、コンセプチュアル・アート、アルテ・ポーヴェラやもの派など、素材や作品そのものの在り方を問うかつての動向を参照すれば、今回の5名の作家の制作姿勢にもそれらと同調するストイシズムを見ることができます。彼らは、作品の「JUST THE WAY IT IS(あるがまま)」を飾り気もなく示しつつも、背後には我々にとって未踏の領域を覗かせています。しかし、別段シリアスと言う訳ではないのです。むしろ全てに対して「JUST THE WAY IT IS(結局その程度のもの)」と半笑いに白を切るような妙な軽やかさで、我々に思索を促すのです。