しもだて美術館は、板谷波山没後50年展として「茨城工芸会展―波山へのオマージュ」を開催します。陶芸家として、また、工芸家としても初の文化勲章を受章した板谷波山は、1872(明治5)年3月3日下館(現 筑西市)生まれ。1963(昭和38)年10月10日に91歳で逝去しました。昨年は、没後50年の年にあたり、これを節目として、昨年5月、茨城工芸会による「第42回茨城工芸美術展」を皮切りに、約1年以上にわたり、国内各地にて陶聖・板谷波山を回顧する様々な催しが開かれています。観る者の心を魅了してやまない波山の作品は、郷士を愛し、芸術を志す者の支えとなり続けた、その人間性にも私たちを導き、これからもより多くの人々に愛され続けることでしょう。
周知のとおり、茨城工芸会は、工芸美術文化の進展を目指していた板谷波山の提唱によって、1930(昭和5)年、茨城の地に工芸の基盤を築くべく、茨城県に縁のある工芸作家を中心として設立されました。常に新しい作品に挑戦し続けた波山のもと、陶芸や金工など、郷里あるいは活動拠点を茨城に構える工芸作家が、各部門の垣根を越えて集まり、後に80年以上の歴史を積み重ねてきたことは、地方の美術団体としては極めて稀な例と言えます。
同会設立当時、日本画家・横山大観率いる「茨城美術展覧会」が水戸において隔年開催で展覧会を開き、茨城の芸術文化の高さを全国に知らしめていました。これを受けて、波山は、郷土の工芸美術も同様に優れていることを伝えようとしました。この頃、工芸作品は「応用美術」と呼ばれ、絵画や彫刻等の「純正美術」とは区別されていました。現在は等しく美術作品として受入れられていますが、今日に至るまでには、技術の革新と、高い芸術性の獲得、進化が求められました。茨城工芸会は、部門を越えた作家同士の対等な交流の中で、それぞれが研鑽を重ねてきました。現在、同会には、陶磁・金工・漆芸・染織・刺繍・七宝・ガラス・モザイクの8つの部門があり、70名の会員が所属しています。
今展では、「波山へのオマージュ」と題し、会員がそれぞれに抱く波山への想いや、工芸美術文化の未来を志向して制作した作品約70点にて茨城の工芸作品の魅力をご紹介します。併せて、毎週土曜日午後には「アーティストトーク&ワークショップ」として、作家が実際に使用している素材や道具を紹介しながら、作品に秘められた技と美についてお話しいただきます。作品がより身近に感じられる良い機会ですので、ぜひ、足をお運びください。