明治12年(1879)、長野県穂高町に生まれた荻原守衛(のちの碌山)は、30年という短い生涯の三分の二にあたる20年を、郷里で農夫として過ごしました。その在郷時代に培われたものを検証しようという試みが、昨平成13年夏の「碌山のふるさと」展でした。そこでは、一個の近代人としての自覚のもと、「画師たらん」と決意して上京するに至る碌山の姿を総合的に視覚化しました。本展はその続編になります。
期間は明治32年秋から34年春へかけての1年5ヶ月弱に過ぎませんが、その中味の多彩で濃厚なことは驚くばかりです。しかも、いかに生きるべきかという大目的を求める姿からは、目的に向かって一気に駆け抜けたといった感じもするのです。
滞在年の中心になった明治33年は、まさに西暦1900年、新しい世紀の始まりと同時に、今度は海外への雄飛が決断されるのです。そこに至る混沌が東京時代のすべてですが、強いて問題点を要約すれば、「永遠の生命」に関わるらしい芸術、その芸術とは何かといった抽象的な問いかけ、そして自らが「画師たらん」と目指す画才への懐疑、さらに生活の本拠となった明治女学校という花園での、多情多感故の惑い、といったところです。
彼自身の得た解答は「とことんやってみなければ分からない」ということでした。それは、そう納得したのであり、飛躍への第一歩であり、無謀とは違います。大胆にして細心の考慮が払われた結論だったのです。こういった渡米に至る過程を、1900年という明治の東京を背景に展望しよう、というのが本展の狙いです。