岐阜県南部は古くから養蚕がさかんであり、中世では美濃のすべての荘園から絹を納めていました。近代以降は海外へ輸出するために、生糸の生産が全国規模で行われました。
美濃加茂では明治期、養蚕伝習場や養蚕模範場といった施設がつくられ、養蚕の技術を身につけようとする動きが見られます。大正期には、現在の美濃加茂市にあたる8カ町村の全戸数に対し平均して6割の家が養蚕を営んでいました。1918(大正7)年、古井村(現・美濃加茂市本郷町)に、地元の製糸工場と合併して郡是製糸美濃工場が進出すると、この市域の養蚕業はますます活気づくこととなりました。また、市を流れる木曽川沿いは砂地部分が多く、桑がよく育つ土壌条件がありました。
明治期から昭和初期、カイコの飼育は座敷飼いとよばれる普段は人間が生活する場所で行っていました。このため、その頃に建てられた家は養蚕をするのに適した構造で建てられました。現在に残る家もあり、当時の雰囲気を偲ばせます。
養蚕にたずさわる人々はその年の繭の収穫を願い、神棚に供え物をしたり、養蚕祈願にでかけたりしました。これらは田畑の農耕儀礼と同様、養蚕に対しても行われたということであり、「オカイコサマ」の飼育は、自然の恵みとともにあった里山の暮らしの中で営まれたことを物語ります。本展では、養蚕にかかわる資料を展示し、失われつつある生業の記憶をたどります。