大正・昭和期の文壇、論壇を常にリードしてきた小林秀雄。その活動は文学から美術、音楽等と広範かつ多岐にわたり、芸術家や知識人のみならず広く巷間に影響を与えたことは周知の通りです。
数多の偉大な著述を残した氏は最晩年、二〇世紀最大の宗教画家ジョルジュ・ルオーの作品に強く惹かれ、「ルオー論」の執筆に意欲を燃やすようになりました。「音は、確かに心の奥の奥の方で鳴つてゐるから、聞き損なひようはない」―ルオーの描く深く清登な世界に漂う静かな祈りと喜びは、氏にこう言わしめ、心の内にいつまでも不思議な音として鳴り続けました。
また「部屋には、ルオーの版画しか掛けてゐない。時々取り替えては眺めている。ここ数年間、さうしてゐる」という氏の言葉からも「ルオー論」執筆に傾ける意志の強さを窺い知ることができます。あるいは氏の中には論理的、構造的に組み上げられた壮大な「ルオー論」が既に描かれていたのかもしれません。
しかし氏は大著『本居宣長』の上梓後、体調を崩し、ついに「ルオー論」を世に送り出すことが出来ませんでした。
氏の生誕百年を迎える本年、氏の残した偉大な足跡を改めて振り返ると同時に、晩年に意欲を燃やし、ついに世に出ることのなかった幻の「ルオー論」を、氏が深く敬愛したルオー作品を介して探ります。また、当清春芸術村の創設に尽力された氏の業績を偲ぶ資料も併せて紹介します。