鹿児島市に生まれた新納忠之介(1868~1954)は、日本の神仏像を生涯に渡って修復した彫刻家です。幼い頃より木彫りを好んでいた新納は、東京美術学校で本格的に木彫を学び、学友会主催の作品展では数々の賞を受賞、特待生となるほど優秀でした。そして卒業後はすぐに同校の助教授に抜擢され、彫刻家として希望に満ちた一歩を踏み出しています。
転機となったのは、美術学校校長を務めていた岡倉天心の辞任に際し、教授や助教授23名と共に新納も辞職、天心の勧めで日本美術院の創設に加わり、美術工芸の研究を主とする第二部の責任者となったことです。この頃、廃仏毀釈などによって仏像の多くが破壊されたままの状況を憂えていた天心らの提唱で、日本の古美術を守ろうとする機運が高まっていました。そのような中、専門的な知識と技能で荒廃した仏像を修復するという要請を受けたのが新納です。天心の言葉を重く受け止めた新納は苦悩の末、創作への専念をあきらめ、破損した仏像などの修復に一生を捧げます。手がけた神像・仏像は三十三間堂の千躰千手観音像をはじめ2,631点にも及び、そのほとんどが国宝や国の重要文化財に指定されています。
それまで確かな修復方法が無かったため、新納は試行錯誤を重ね、現状維持を基本とする修理法の理念と技術を確立し、今日まで引き継がれる修理法の基礎を築きあげました。本展ではその調査・研究の過程で記録収集のために原像から型取りした石膏資料をはじめ、修理方針を探るために観世音寺の原像を模した《大黒天》や修復の経験を生かした新作の《不動尊像》などを紹介します。
新納忠之介没後60年を迎えるにあたり、その功績の一端を振り返ることにより、文化財を守り伝えることに意義を見出し、神仏修復に生涯を捧げたその熱意を感じ取っていただければ幸いです。