美術団体二科会や一水会創設、セザンヌをはじめとするポスト印象派の日本への紹介など、近代洋画史に大きな足跡を残す、郷土ゆかりの洋画家 有島生馬。有島が居を構えた東京(現千代田区)麹町下六番町の旗本屋敷には、黒板塀と黒の歌舞伎門がありました。その「黒門」をくぐって、多くの若き画家たちが有島のもとに集い、画業への薫陶を受けました。
1939(昭和14)年、有島を慕う画家たちによって、絵画の研究会「黒門会」が結成されます。「黒門会」では東郷青児、海老原喜之助、吉井淳二ら鹿児島出身の画家だけでなく、様々な会派の画家たちが所属を超えて交流し、年に一度同人による展覧会が開催されました。
戦時中は、有島邸の戦災、画家たちの疎開などによって会の活動は中断されますが、1964(昭和39)年、東郷青児の呼びかけにより再興されます。再興「黒門会」には荒谷直之介、山口長男ら新たな会員も加わり、1974(昭和49)年に有島が逝去した後、1978(昭和53)年まで展覧会が継続されました。
本展では、当館が所蔵する有島生馬と「黒門会」の作家たちの作品を通じて、その交流の軌跡をご紹介します。