約300年にわたる徳川統治の時代が終わりを迎えようとした慶應2年(1866)、寺崎広業は秋田市にうまれました。佐竹家重臣の子として生をうけた広業も、明治の混乱の影響を受け苦しい幼少時代を過ごします。しかしながら、狩野派の小室怡々斎 (こむろいいさい) や円山四条派の平福穂庵 (ひらふくすいあん) などに画法を学びつつ、明治23年(1890)の第3回内国観業博覧会では褒状を授与されるまでに成長します。これ以降、明治24年(1891)の日本青年絵画協会創立への参加、明治30年(1897)の東京美術学校助教授就任など近代日本画壇における重要な責務をにない続けました。自らが開いた天籟 (てんらい) 画塾には門弟が300人も集まり、「広業」という名前が縁起を担ぐ代名詞と称されるまでにいたりました。
このような業績にもかかわらず、時の流れとともに彼の存在は忘れられつつあります。本展では、鏑木清方にも影響を与えた広業人物画の一例である《唐美人》、やまと絵と南画の知識が昇華した《四季山水》、そして柔道家・飯塚国三郎のために制作した《松》など当館が所蔵している広業作品を一挙公開します。また竹内栖鳳や平福百穂 (ひらふくひゃくすい)など広業とゆかりの深い画家の作品を展示し、それと同時に彼らが語った広業像を紹介いたします。画風や交友関係の広さから「明治の谷文晁」とよばれた男を見つめなおし、その画業ともたらした功績を振り返る展覧会です。
なお、当館では今までにも広業作品を数点ずつ公開してきましたが、今回はその全貌をご覧いただく初めての機会となります。