豊臣秀吉の朝鮮半島侵攻後、徳川家康は、両国関係の修復をはかり、善隣友好の礎を築きました。将軍の代替わりには、使節団「朝鮮通信使」が来日し、各地で交流を深め、隣国の文物に大いに関心がよせられました。 高麗時代の華麗な色彩と装飾性に富んだ仏画や金銀泥のまばゆいばかりの見返し絵のある金字写経およびこれを収めた螺鈿の経箱は、わが国には見られない文物として珍重されました。
李朝時代の陶器は、茶の湯の世界で主役を占め、わが国からの注文製作も行われました。このほか硯・筆などの文房具や絹織物など様々な文物が伝来しており、交流の盛大さが窺われます。
隣国との文化交流のあかしを、江戸時代に尾張徳川家に伝えられた文物を通して、見つめ直します。