電気事業再編成を行い、戦後日本の高度経済成長を支えた耳庵 (じあん)・松永安左エ門 (やすざえもん)(1875~1971)。私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げ、宝塚歌劇の創始者としても知られる逸翁 (いつおう)・小林一三 (いちぞう)(1873~1957)。慶應義塾の福澤門下生として出会った二人は終生の友であり、同時に、戦前から戦後にかけて活躍した大茶人である。
「今太閤」と称された小林一三と、「電力の鬼」と畏怖された松永安左エ門。松永安左エ門は、益田鈍翁、原三溪の後継者と目され、仏教美術を取り入れた侘び茶の世界を追求した。一方、小林一三は、鈍翁らの流れとは一線を画し、ヨーロッパのガラス器などを取り入れた、華やかな茶を創造した。コレクションも耳庵は江戸中期以降のものにほとんど食指を動かさなかったのに対し、逸翁は円山四条派の名品や俳画にも広がりを見せている。
一見対照的な両者ではあるが、その所蔵品には意外な共通点も多い。また、茶人として出発しながらそれに終始せず、公に資するために晩年は美術館の建設を志し、実現に至ったという点も共通している。
戦前から戦後にかけて日本の高度経済成長を支えつつ、茶の湯の世界に遊び、また公共に資するに至った二人の足跡を、逸翁美術館と福岡市美術館の、それぞれのコレクションの名品でたどる。