洋画家・宮本三郎(1905-1974)が1935年から亡くなるまでアトリエを構え、制作の拠点とした世田谷区奥沢は、自由が丘や田園調布といった近隣地域を含め、多くの芸術家が居住した一帯でした。宮本三郎が、その連載小説の挿絵を描いた小説家・石川達三や、同世代の洋画家であり、戦後「田園調布純粋美術研究室」を開設した猪熊弦一郎、自由が丘の名付け親であり、「自由ヶ丘石井漠舞踊研究所」を開いた舞踊家の石井漠など、宮本三郎は奥沢界隈のさまざまな人物と親交を結んでいます。小説家・石坂洋次郎が奥沢に住み、自由が丘を舞台にした連載小説「丘は花ざかり」(1952年、挿絵:宮本三郎)を著したように、現在、隣接する大田区と目黒区を含んだ世田谷区奥沢界隈は、区境にとらわれない、相互交流的な文化圏が育まれていたと言えるでしょう。
本展では、宮本三郎に加え、世田谷区奥沢近隣地域(田園調布、玉川、等々力、上野毛、自由が丘等)に住み、同時期に活動していた芸術家たち―洋画家の猪熊弦一郎、岡本太郎、末松正樹、利根山光人、富田通雄、村井正誠、吉仲太造、日本画家の上野泰郎、彫刻家の澤田政廣、建畠覚造―の作品を世田谷美術館収蔵品によってご紹介するとともに、小説家の石川達三、石坂洋次郎、舞踊家の石井漠らも資料でご紹介します。また、同じくこの界隈に住んでいた、榎倉康二、河原温といったコンセプチュアルな作品で知られる作家もご紹介することで、戦前から現代にかけての幅広い芸術表現を展観いたします。