1896年、東京美術学校に設置された西洋画科で指導を託された黒田清輝は、1884~93年の西欧留学で会得した外光派的な作画を教授するとともに、フランスの美術教育に倣って、石膏、裸体デッサンを基本とした教育を展開しました。大分県の洋画家では、1907年入学した片多徳郎が黒田の作風を生かした人物画で在学中に文展で2回、褒状を受賞。1922年には、帝展の審査委員となるなど、若くして官展を代表する洋画家となりました。また、片多のもとには、同郷の権藤種男、江藤純平、佐藤敬等が集い、絵画研究を行い、その後、権藤らは特選を受賞するなど官展の有望画家に成長しました。また、こうした中央での活躍は、県下の絵画界を刺激し、1921年、大分県美術会が設立されるなど活発な活動が展開されるようになりました。
今回は、片多をはじめとする郷土出身の洋画家の作品により、大正・昭和期の人物表現の展開をたどります。