今村紫紅は横浜で生まれ育ち、画家の兄から厳しい絵画教育を受け、入門した安雅堂画塾で仲間とともに画技習得に励み、新しい日本画の創造に努めました。特に、明治44年文展に出品した《護花鈴》は、古画を翻案しつつ柔らかで美しい色彩でまとめられ、それを見た原三溪が彼の支援を決めるに至ったものです。
大正はじめの再興院展では、明るい色彩と斬新な描写で日本画壇に賛否両論を巻き起こし、最晩年には後輩たちと赤曜会を結成し、現場風景の取材を大切にした作風で南画や風景画へと興味を広げていきました。
紫紅の作品の特徴は、新しい感覚を添えた色彩美にあり、それはカラフルな作品だけではなく、青や緑、墨という単色の濃淡を巧みに配した作品にも十分あらわれています。
三溪がかつて所蔵していた紫紅の作品や、短い生涯のなかで描いたさまざまな作品を、三溪との関わりとともに紹介します。