岡本太郎の作品の多くには、「顔」が描かれています。
はっきりと画面全体に描かれた顔もあれば、画面の各モチーフが結びついてイメージを形成するように描かれた顔もあります。
「顔」について岡本は、次のように述べています。
「顔は宇宙だ。顔は自であり、他であり、全体なのだ。」
(岡本太郎「宇宙を翔ぶ『眼』」『美の世界旅行』新潮社、1982年)
また、岡本太郎の作品には、「仮面」が描かれることもあります。
《マスク》(1959年)、《仮面劇》(1980年)などがその作例です。そのほか、「顔」とも「仮面」とも、作品タイトルからだけでは判別できないようなモチーフが描かれた絵画作品が数多くあります。
「仮面」について岡本は、次のように述べています。
「私は作品の中に目玉を描く。人間だか、動物だか知らないが、執拗に目玉を描き込んでいるのは、たしかに新しい世界に呪術的にはたらきかける戦慄的な現代のマスクを創造しようとしているのだ、と思っている。」
(岡本太郎「面」『芸術新潮』1958年7月号)
こうした、仮面に関する知識を岡本は、どこから修得したのでしょうか。背景としては、第二次大戦前にパリ大学で聴講した民族学者マルセル・モースの講義により修得したと考えられますが、直接的には岡本が愛読したミルチャ・エリアーデの著書『シャーマニズム―古代的エクスタシーの技法』(1952年)から修得したと考えられます。そこでは、「聖」と「俗」を結び付け、俗なる世界に聖なる世界を示現させるための契機としての呪術的な仮面について紹介されています。そして、岡本は芸術を、俗なる世界に聖なる世界を示現させる呪術的な契機としてとらえ、「芸術は呪術である」(『みづゑ』1964年2月号)とも述べています。
また岡本は旧友ロジェ・カイヨワの著書『遊びと人間』(原書初版1958年)の1967年版(当館には岡本旧蔵の当該書籍の初版は所蔵されておりません)を所有しており、仮面に関する部分に下線が確認できます。そして1967年以降の岡本の仮面に関する言説には、カイヨワの著書から修得した知識も反映されるようになります。
本展では、「顔」と「仮面」の観点から、岡本太郎作品をご紹介いたします。