神田日勝は独立展を生涯作品発表の場とした。27歳のとき(昭和39年)『一人』と『板・足・頭』(出品目録では『三人』)を第32回展に出品以来、独立展・独立選抜展に出品を重ね、昭和45年その遺作『室内風景』もまた第38回展会場に展示されたのである。この短いともいえる出品回数の中で、日勝の画風は大きく変貌した。第33回展の『馬』、第34・35回展の『画室』連作、第36回展・37回展の『人と牛』『人間B』とその展開は目を見張る。しかしそれは当時の独立展から受けた刺激と無関係ではない。独立美術の新しい作風に身を置いた画家の姿を見て取ることができよう。
美術館の開館以来、語句の独立詣では半ば恒例となった。本展・春季展・十果会・エボリュウション等、目に付くままに、案内いただくごとに会場に歩を運んだ。そのことは独立美術協会の画風のイメージをいつか僕の心に形成させていた。そんな折、昨年銀座の画廊を会場に3回にわたり開催された「独立美術協会の画家たち」で新進気鋭の画家の方たちの作品に触れる機会を得、その時機漠然と独立美術の新しい潮流という一つのイメージが浮かんできた。1年の思いを重ね、中野先生のご援助で世代を共有する画家の方々のリストが構成できた。その世代は神田日勝が出品を始めた年代と合致する。日勝もまた当時の新しい潮流の一端に位置づけられる画家の一人であろう。独立美術の重厚な伝統は普遍である。しかしその歴史に浮かぶ新しい息吹を本展では紹介できればと願う。(菅訓章)