江戸時代から明治にかけて、いわしを加工した魚肥が木綿栽培の肥料に使われ、九十九里浜はその一大産地として繁栄しました。いわしの地引網漁で巨万の富を手にした網主たちは、書画、文芸をたしなみ、文人墨客を招き、中央と地方を結ぶ文化の拠点としての役割を果たします。そして、俳人の来遊により、天明期 (1781~89) を中心に俳諧が盛行し、天保12年(1841)の漢詩人・梁川星巌 (やながわせいがん) の来遊以降、明治中期にかけては漢詩への関心が高まり、時代の流行とともに豊かな地方文化が育まれました。
このたびの展覧会では、そのような網主の一人、井之内村 (現山武市井之内) の齋藤滄洲 (そうしゅう)(1837~99) が収集した明治前期の書画を紹介します。滄洲は、明治11年(1878)に隠居した後、別邸「含海堂」を構え、詩を詠じ書画を楽しみ、文雅の世界に遊びました。彼は、来遊した文人だけでなく、書画会など文墨の集いの常連である在京の文人たちと、漢詩人の小野湖山らを介して交わりを結んでいます。湖山の書、安田老山の水墨画、奥原晴湖や日下部鳴鶴 (くさかべめいかく) らの書画帖などからなるコレクションは、明治期の漢詩の流行と、書家、画家、漢詩人たちが、垣根を越えてさかんに交流した時代の薫りを今に伝えています。
網主の衰退とともに資料が失われる中、大切に伝えられた貴重な作品をとおし、いわしの恩恵により花開いた網主文化の一端に触れていただければ幸いです。