野村仁は、40年以上にわたる制作活動において、身の回りの現象から地球の活動、月や太陽をはじめとする天体の運行に至るまで、多様なスケールの事象をモチーフとする一方で、いかなるときも、一貫して自らの身体との関係性を軸に対象と向き合い、そこに生じる知覚のはたらきを出発点として表現を展開してきました。
活動の最初期にあたる60年代終りから70年代、野村は、時間の経過に晒され変容する物質を通して、存在についての根本的な問いを提起する作品を多数発表しましたが、人間という存在もまた、作家自身の身体を素材に、そうした問いの中心的題材として取り上げられました。1975年に制作され、本展が約30年ぶりの公開となる《age: M→F》*は、性別、年齢、地位などを読み取るための外見、すなわち社会における相互認識のためのコードを自在に操作してみせる写真およびビデオ作品であり、人間の身体がニュートラルな客体として扱われることの多い同時期の野村の表現の中では異色といえます。しかしながら、ここには、物質的存在=「抽象的な身体」であると同時に、自己と他者が織り成す複雑なシステムに組み込まれた社会的存在=「特殊な主体」でもある人間の多義性を早くから認識し、検証しようとする野村の透徹した意識が感じられます。
本展では、《age: M→F》を基点とし、この初期作を現代社会が孕む諸問題と照らし合わせることで生まれた最新作《H. error: C→Si》、さらには、人間が直接的には触れることのできない宇宙空間=非-人間的な世界の事象を映し出した作品とともに展示することにより、人間を、外界からの影響を受けて変化し続ける非永続的な存在として再提示し、身体を基盤として世界を知覚する「私」の存立は果たしてどこまで可能なのかを問い直します。
自らの表現行為の要であり続けてきた身体と知覚そのものに立ち返り、その臨界点を探る新たな試みと、写真や映像に潜む「見る/見られる」という支配的構造の利用、媒体の変換に伴う次元の増減や視覚情報の操作など、メディアそのものに対して作家が早期から抱いてきた問題意識にもご注目下さい。
*《age: M→F》は、写真作品が1975年に制作された後、それをもとに1978年に同ビデオ作品が制作された。