佐々成政は、越中ゆかりの戦国武将として著名です。厳寒の立山連峰を越えて徳川家康の許へ赴いたという「さらさら越え」をはじめ、鍬崎山の埋蔵金伝説や「佐々堤」の築堤など、数多くの逸話が残されている一方で、歴史的な実像は意外と知られていません。
成政は、天正8年(1580)に織田勢の主力部隊として富山へ進軍し、同11年には越中統一を完成させます。その後、家康と手を組み、天下人となった秀吉と対決する道を選びましたが、同13年に降参します。しかし、同15年の九州島津攻めで戦功を認められ、肥後一国の領主として復権しました。ところが、わずかな支配期間で国内に一揆を招いた罪で切腹を命じられ、摂津尼崎で自刃しました。一方で、秀吉は自身の手紙のなかで、成政のことを「武者のおほへ」(武士の鑑) と称えており、その実力と名声を認めてもいたのです。
本展では、成政越中平定430年という節目を機に、県内外に残された歴史資料から、「戦国越中の覇者」と評するにふさわしい、佐々成政の生涯に迫ります。