[展覧会に向けて]
可能性。この未来を予想する不確定な言葉。しかし、我々は常にそれを信じて、日々を生きている。
当然の事ながら生の終焉が近づけば近づく程、それは小さく、薄く、頼りなくなっていく。
とするならば、青年達にはより大きい、より強大な可能性があるはず。
表現者における青年は年齢に左右されない。経験に左右されない。
明確な意志と技術を持ち、一方でいまだ鑑賞に晒される経験が少ないならば、それは表現者としての青年である。
即ち、そこにはより大きい、より強大な可能性がある。
レントゲンヴェルケは彼ら青年の可能性をより世に知らしめるべく、これまでも様々な展覧会を開催してきた。
2009~11年、敢えてその可能性の探求を前面に押し出すテーマで、3年間にわたり「メークリヒカイト」を開催した。今やレントゲンの看板作家満田晴穂、高田安規子・政子はこの展覧会をそのステップボードとしている。
今日、その後の停滞期から脱却を睨むこの国に向けて今一度、青年達の可能性を世に問う。
野望とも見做せる強力な意志と追随を許さない表現力で、公募展で強烈なデヴューを飾り、一気にその名を知られる事になった石野平四郎。
美術とは全く違う畑から海外に渡り、誰知られる事も無く、驚くべき忍耐強さをもってこつこつと自分の世界観を構築してきた磯部勝士郎。
描き方自体が署名であるかのような明確なスタイルとポップな表層の裏側に、デュシャン、杉本と相似する時間性を潜ませる東麻奈美。
視覚の隙を突く独特の描画技法をもって、客観的かつ冷静な視点から、故郷の大惨事を絵画の形をもって普遍化する坪山斉。
共通しているのは、彼らはこの美術の世界に於ける青年である、という事。
即ちはより大きい、より強大な可能性を秘めた存在であるという事。
レントゲンヴェルケは、彼らの溢れんばかりの才能を解き放ち、じわりと上昇に向け動きだした美術の世界を加速させる使命、その先鋒を託す。
レントゲンヴェルケ代表
池内 務