SUPER! PAINTINGSは2009年から毎年ギャラリー白で開かれ、今年で5回目となるグループ展だ。出品者は例年ほぼ同じ顔ぶれで、いずれも1980年前後の生まれ。比較的若い世代ではあるが、派手な実験は目立たない。むしろシンプルかつ地道にそれぞれの制作を続けている作家たちと言えるだろう。
そして、カラフルな色面が楽しげな林田朋子の作品など、その親しみやすい普通さこそが、作品の鍵となっている。「普通名詞(common noun)であること」が重要と林田は言う。誰にでもやさしく通じる言い方。しかしだからこそ、思い描くものは千差万別だ。
画面を動物がぎっしりと埋め尽くす星川あすかの場合も、「特定の動物というよりは人を含むいきもの全体をあらわすアイコンとして」動物のかたちを用いている。ユーモラスないきものたちは、どこか不気味でもある。ほどよいあいまいさが、想像の余白を生む。
宇宙空間を思わせる車史噯の作品は、葉っぱを大きく写したものという。日々見ているようで見えていない細部に凝縮された「ミクロ=マクロ、死=生」の世界。その「確認行為」には、制作に時間のかかる油絵で「できうる限り、表面をフラットに仕上げる」ことが欠かせない。
画材の物質性を、いわば生かしつつ、消す。春菜の場合はさらに徹底的に「基底材に研磨を施したり、プラスチックで作品をコーティング」している。光の玉がこぼれあるいは舞い散るような、不可思議な都市の夜景。その独特の「空気」を表すには、それほどの「艶」が必要なのだという。
「記憶」をテーマに制作を続ける藤川奈苗は、子どもの頃住んでいたニュータウンの景色から出発し、「人や木など形をかりて表すよりも、もっと具体的に描こうとしていくと逆に今の抽象的?な画面になって」きた。見る側にとっても、抽象的な画面から受けとるのは、逆に具体的な匂いや手触りであったりするから面白い。
山内亮の絵では、「形を『発掘』する」こと自体がテーマとなっている。鮮やかな色で重ねられたタッチの中に垣間見える動物の顔。じっくり探り当てようとすると、タッチにふわりと目線が触れる。まるで目の手触りとでもいうべき感覚だ。
新奇な手法の“現代アート”が耳目を集めるいま。「身近だけれど、底なし(無限)の世界をみせてくれる」(藤川)絵画は、「限りなく自由で、また限りなく制約がある表現方法」(山内)だけに、続けることこそ何より難しく、意味があるのかもしれない。今回は全員が新作を出品する予定という。表現の原点たる絵画で、六者六様、どのような“現”点を見せてくれるのだろうか。 江上 ゆか(兵庫県立美術館 学芸員)
※文中「 」内は全て作家自身の言葉(筆者がメールで行ったアンケートへの回答から引用)。