かつて、いまだ科学のなかった時代、古代人は鏡に映った顔かたちを自らの分身とみなして、その姿に並々ならぬ畏怖を抱いたようだ。ものを映すという鏡の効果を、魂をもとらえる霊力と感じたのである。
例えば、わが国の神話における八咫鏡は、天照大神を映しだしたゆえに、その御魂の依代とされ、「三種の神器」の一つとなった。かような観念からすれば、鏡ほど、人智をこえた絶対的な権威を発揮する身辺用具はない。
そして古代の鏡の背面には、東西、国々を問わず、そうした力にふさわしい、大自然・獣・神の姿など、人々のおそれと敬意の対象たるものが、さまざまに文様図案化されて装飾されたのであった。
以来、技巧的にも鋳造や彫刻、象嵌、螺鈿、金銀の箔を施すなど、細緻な手業のかぎりを尽くして、鏡の神秘が表現された。
このたびは、中国鏡から和鏡へ、その工芸美の流れのなかに、鏡によせた人々の思いを垣間見ようとするものである。