没後50年の須田国太郎の意味
虫籠窓や格子窓の暗から外界を観る京の町家で育った須川国太郎は、大正8年スペインの地で「近代」とは異なる「前近代」と向かい合った。テンペラの下塗りの上に油彩を重層化するヴェネツィア派の色彩表現と、ティントレットやエル・グレコを経て、色彩を混和させるバロック的明暗法の相反する二つの「前近代」の表現を、不統一に表出した。画面の中で存在する事物と蔭は、等価性を保つ事で、画面の中での距離は意味性を失い、蔭と景物は主役を相互交換する。須田国太郎の蔭は、物体がもたらす形態としての影ではない。形態認識の影ではなく、物と物が互いに映し出す蔭映である。須田国太郎の光は、単に物体に色彩を与えるだけのものではなく、暗闇に劇的世界を語るものとなる。その倒置した混沌のなかで「前近代」は物の怪のごとく幻想的に私たちに立ちはだかる。この時須田国太郎の絵画が俗に言われる「バロック的パトス」を示す瞬間となる。須田国太郎の絵画は難しいといわれてきた。「モダニズム絵画」と「前衛主義」の時代には、須田国太郎の絵画がそれらとは目的を異にしていたからである。しかし「モダニズム絵画」も「前衛主義」も、今日足を止めて久しい。今日卑俗の中で引用遊びをしている美術をみると、須田国太郎の絵は、没後50年後の、若い絵描きたちのために描かれたのではないだろうかとも思えてしまう。「近代」と「前近代」、「西洋」と「日本」の不在に身を置いた須川国太郎の絵画が、現代ほど意味を問う時はないであろう。
本展覧会ではこうした須田国太郎の作品が一堂に揃うものである。半世紀先からの須田国太郎のメッセージが、見えてくるのではないだろうか。