■森野眞弓のWATER MARK
宝木範義
WATER MARKとは、紙の透かし模様のこと。だが、ここで見る映像は、春の花園のようにも見えるし、噴火口から流れ出した溶岩の堆積のようにも見える。得体がしれぬと言いたいところだが、しかしあくまでも自由で、始原のエネルギーを豊かに抱き寄せる、不思議な魅力が内包された無限の連鎖は、誰の眼にもひとつの小宇宙と映るだろう。
森野眞弓が、縦2mのフェルトの帯に焼き付けて、画廊の壁をぐるり囲んだこの空間を織りなす痕跡こそ、我われのちっぽけな人生をはるか彼方から見下ろしている、宿命の神の眼差しにほかなるまい。
振り返ればもうふた昔も前のことになる。1993年1月に森野眞弓がこの画廊の壁に「負の景」の連作をならべた折、筆者は個展案内状にこう記したのを思い出す。「ここには、文明と人間の過渡期を彩る不安の余韻と、そしてこの生への絶望が隠されている」と。当時50歳代を迎えたばかりの作者の精悍な風貌とともにあったのは、みずから開拓した新技法へのゆるぎない自信と、能弁に展開された新表現の厚みであった。
しかし今、ここで見ることができるのは、むしろ作品であろうとする常識的な意図さえ放棄した無垢の魂、言うならば版画家・森野眞弓という社会的枠組みさえどこかに置き忘れてきてしまった、ひとりの自由人の軌跡なのである。
W・ブレイクを例にひくわけではないが、作者は作品の美のさらに先に、宇宙に偏在する生命の神秘、そして宿命の謎を見ている。