児玉画廊|京都では12月1日より12月29日まで田中秀和「Sphere of Activity」を下記の通り開催する運びとなりました。田中は抽象表現の平面作品を一貫して制作しており、風景や具体的なモチーフの抽象化に始まり、幾何学的な造形描写、偶然性や即興性に徹する描画法、多数の独立した画面を同一平面上に重層していく構成、過去作品をプロジェクター投影して断片的な模写を繰り返し全く新たな画面を組成するなど、技法やコンセプトにおいて試行錯誤しながらも独自の抽象表現を切り拓いてきました。
最近では、新旧の作品同士で線描や構成を継承あるいは共有させるような制作に積極的に取り組んでいます。これは先述したプロジェクター投影による形態的なコピーや反復という一作品の画面構成上のことだけでなく、作家の不断の制作活動の結果である時間的な連続性を作品間においてより意識したものです。変異と適応を繰り返しながら進化を遂げて、より高度の作品へと結実させるためにコピーや反復を幾重にも上書きしながら突然変異を引き起こすべく無数のレイヤーという忘我の境へと入り込んで行くのです。そして、今年3月に児玉画廊|東京での個展「Chaospective」において見せた、面、線、点のシンプルな構成による描写は、そのまさに突然変異的な表現の変化として見ることができます。圧倒的に手数を減らしながら、その最小限の構造によって最大限の効力を発していました。ベースをシンプルな色面が覆い、その上に過去作から抜き出したものでありながらそれを全く意識させない闊達な線描、その間隙を縫って視線を留め置くように絵具の塊が点々と配され、以前のような重層性はなくとも、面と線と点の異質な共存関係によって明瞭な空間性が表されていました。
今回発表される新作は、「Sphere of Activity」(活動領域/勢力圏)という展覧会名の意とするところにおいて、時間軸や遺伝情報的な連続性や「Chaospective」の空間性を経て、より可能性の領域を広げたことによって生み出される新たな表現へと挑むものです。田中の作品はこれまでの類推を見れば明らかですが、常に漸進的であり、その時々において完遂された一個の作品でありながら同時に新たな進化の可能性を内包し、次へとその道程を示すという「意味的な未完」の要素を持っています。絵画の領域に留まらず音楽の概念やデジタル技術の援用に至るまでを貪欲に取り込んで来たこともまた、その常に新たな動機を求め進展していく能動性の現れであるように思えます。そして、今回の新作ではスケール感に依存しがちな大作を敢えて控えて、中庸のものから小品を中心に構成されます。それは物理的な大きさに係わる空間性そのものを乗り越え、構成や技法上の論理を超えて、より本来の抽象的/概念的な領域へと田中自身の思考が伸張しつつあるということかも知れません。