先ずコンピューター上のモニターに絵画を描き、キャンバスに出力するという遠藤の技法は基本的に本展でも踏襲されている。同じく何百年に及ぶアートに対する大きな懐疑や批評を底流に潜ませた表現に変わりはない。
これまでに多くの絵画が描かれてきた。音楽も言葉も繰り返されて既に私達の胸に届くものは稀である。表現は制度化し奇異なものだけが現れては消えている。
だから構図は旧来の絵画の枠組みを借りて、そこに絵具を描き入れる。遠藤の絵画は枠組が元々持っていた既視感とともに、いささかの惑乱を誘う。「絵/画」というタイトルの由縁にはこういう背景がある。
ただ本展の出品作品は今までの作品に比して、更に構図に重層を用意し、分け入るような奥行きを感じさせている。
また鏡を用いて人の表情を描いた作品は、参照すべき構図を描くのではなく揺れて錯綜する輪郭と共に、見る者を映り込ませ、私と言う存在の不確かさを暴いて見せる。
絵画作品は言うまでもなく、鏡の作品も遠藤は表現そのもの、また見る私そのものの不確かさ、懐疑を改めて問うものである。