小説家・川端康成は、岡本太郎とその両親の一家を「聖家族」と呼びました。漫画家である父一平と小説家・歌人である母かの子のもとで育まれた少年は、どのようにして「岡本太郎」になったのでしょうか。芸術一家という特異な家庭環境、周囲との葛藤、寄宿舎生活といった子供時代の体験と孤独は、生涯を通じて、岡本の生き方や創作の根幹を形づくりました。
もっとも早く世に発表された岡本太郎の作は、慶應幼稚舎3年生のときに『赤い鳥』に投稿した詩「きりんのくび」です。母かの子の影響もあるのでしょう、少年太郎は絵だけではなく、じつは詩や文章も多く創作しています。慶應普通部では、後年小説家となる友人・野口冨士男が同級の仲間たちと制作した手書きの廻覧雑誌『KAGERO』に、岡本も文章とともに水彩で描いた挿図《敗惨の歎き》を寄せており、野口が大事に保管した同誌の中で、岡本のもっとも初期の作例として残されることになりました。
本展では、岡本一家が渡欧した際に使った遺品とあわせ、普通部時代の同人誌をはじめ、知られざる少年期の岡本太郎の原点をご覧いただきます。