四方を海に囲まれ豊かな水資源を持つ日本では、「水」は古くから人々の暮らしに身近な自然として、さまざまに表現されてきました。古くは弥生時代の銅鐸に流水文様をみることができますし、絵画では『信貴山縁起絵巻』などに見る線描による波や、尾形光琳の『紅白梅図屏風』の水の文様などが思い浮かびます。留まることのないその形状から、世の流転、儚さの象徴として文学にも表されてきました。
平松画伯の作品にも「水」の描写が多く見られます。江戸時代の伝統的な意匠を取り入れてみたり、西洋画から学んだ表現を日本画の技法を駆使して表したりと様々な試みをしています。
また、以前、木曽の庄内川河畔にアトリエを持ち、「水」「川」「いのち」をテーマに描いたことがある画伯にとって、「水の旅とは、そこに根を下ろす自然体系とそれへの愛と憎を繰り返す生きものの、究極の折り合いをつけるドラマ」(『嶽・その神秘なるもの』)と言うように、人の営みに密接に関わりあうものであり、自身の心象風景を映す対象でもありました。
第1部は「水のある風景」をテーマに展示し、第2部は平松画伯が「モネの睡蓮」を主題に描いた作品を展示します。