蹴鞠(けまり)は日本におけるサッカーのルーツととらえられることが多いようです。Jリーグの開幕を記念して、国立競技場で蹴鞠が披露されたのをご覧になった方も多いでしょう。でも蹴鞠のルールをご存知の方はどれほどいるでしょうか。「雅な装束に身を包んで鞠を蹴る、貴族が楽しんでいたスポーツ」という答えは間違っていません。なるほど、いかにものどかな趣味のようですが、そこにはサッカーと同じく厳しいルールがあり、トレーニングが要求される団体スポーツです。
蹴鞠はいつから親しまれるようになったのでしょうか。日本で初めて蹴鞠という記述が見られるのは『日本書紀』です。大化の改新を前にして、蹴鞠のプレー中に沓を落とした中大兄皇子に中臣鎌足がその沓を拾って捧げた、有名な二人の出会いの場面です。蹴鞠は中国から伝来したと伝えられていますが、数百年にわたるその歩みのなかで日本の文化風土によって独自のスタイルを形成し、様式として東アジアには例を見ない足を使った運動に発達しました。蹴鞠は、鞠を地面に落とさずに、多くの回数を蹴り続けることを競います。サッカーのリフティングと違うのは、自分一人で続けるのではなく、相手に蹴りやすい鞠を返さないといけないという点です。足さばき、身のこなし、姿勢など身体の使い方に細かく定めがあるだけでなく、装束やプレーする鞠場、ひいては蹴鞠をプレーしてよい人にも決まりがあります。それらの様式とはどのようなものなのか、今回の展示で資料をご覧いただいて詳細に紹介いたします。
蹴鞠を洗練された様式に育て上げてきたのは、平安時代後期から鎌倉期にかけての京都の公家社会です。先に述べた中臣鎌足の子孫である藤原摂関家につながる難波家、飛鳥井家の二家が確立していき、やがて愛好家は大名から庶民にまで裾野を拡大していきます。当館は江戸から昭和初期にかけて蹴鞠に精進した公家の資料を一括収蔵しており、それら装束、鞠、道具類を展示するほか、日本で有数の蹴鞠関連文書を所蔵する天理図書館の協力を得て、その一部も併せてご覧いただきます。
日本人はボールゲーム好きです。"日本古来"と言われる相撲や武道などのように、神事や戦闘に深く関係するのではなく、足で球を操作するところに面白さを求めるという意味では、蹴鞠も最も伝統的な日本のスポーツの一つではないかとさえ思います。近年活躍が目覚ましい日本サッカーが蹴鞠につながり、実は古代からの「足魂※」を脈々と伝えていることも今回の展示でご紹介できればと考えています。
※公家の古文書でしばしば出てくる用語。日々訓練を積んで「足魂」が生じれば自然に身体が動きどんな鞠でも受けとめられるとする。