文禄・慶長の役の際に、鍋島軍に捕えられ、佐賀に連れてこられた洪浩然(こうこうぜん/1582~1657)は、鍋島直茂(なおしげ/藩祖)・勝茂(かつしげ/初代藩主)父子に右筆(ゆうひつ)として仕えました。
当時から能書家として知られ、與止日女(よどひめ)神社(佐賀市)・英彦山(ひこさん)神宮(福岡県添田町)等の鳥居や、頂法寺(ちょうほうじ)/六角堂/京都市)の寺号などにもその書が残っています。主君である勝茂が江戸で没した後、その報に接した浩然は、自邸で子孫への訓戒として「忍」書をしたため、阿弥陀寺(あみだじ/佐賀市)で殉死しました。
浩然は、捕えられ連行された時の思いを後年の書の中で「扁舟意不忘(へんしゅうのいわすれず/小さな舟に乗って来た時の思いは決して忘れない)」と述べ、また、被擄人(ひりょにん)として異国の地で生きていかざるを得なかった境涯とその思いを絶筆となった「忍」書の中で「忍ぶはすなわち心の宝、忍ばざるは身のわざわい」と記しました。
佐賀藩出身の儒学者古賀精里(こがせいり/1750~1817)は、浩然の生い立ちや直茂・勝茂との関係を『洪浩然伝』としてまとめ、精里の次男で養子として洪家7代当主を継いだ洪安胤(こうやすた/晋城(しんじょう)/1781~1832)とともに浩然を顕彰し、全国の文化人に紹介しました。明治期には10代目の子孫西村謙三による研究が進み、現在、浩然の存在と功績を次代に伝えようと日韓洪家の交流も始まっています。
今回の展覧会では、書に託された洪浩然の思いをたどり、その後の子孫や関係者が浩然を顕彰し、その思いを伝えてきたことを、洪浩然の遺墨や遺品、後年の記録や写真などで紹介します。どうぞ、この機会に貴重な資料の数々を御覧ください。