ヨーロッパにおける挿絵本の歴史は古く、書物としての価値だけでなく、芸術作品として一つのジャンルを形成しています。各時代、画家が本の内容に自らの解釈とイメージによる挿絵を描き、文字と一体化した美しい挿絵本を生み出しました。それらは愛書家たちの収集の対象となり、稀少価値の高い美術品として伝えられてきました。とりわけ19世紀末から20世紀にかけては、印象派をはじめ新しい美術の潮流が挿絵本の世界に大きな変化をもたらします。画商ヴォラールは、ボナールやピカソ、シャガールら当時の著名な画家たちに依頼して、詩集や小説に版画による挿絵を付した限定版の挿絵本を世に送り出し、その人気は高まって出版ブームが訪れました。
藤田嗣治(1886-1968)がパリに渡った1913年は、こうした挿絵本興隆の時代のさなかにありました。やがてパリ画壇で頭角を現し始めた藤田は、サロン・ドートンヌの会員に推挙された1919年、最初の挿絵本《詩数篇》を手がけます。1921年には同展に裸婦像を出品、後に「すばらしき乳白色の地」と絶賛される画風により一躍パリ画壇で揺るぎない地位を確立すると同時に、挿絵本制作にも精力的に取り組み始めます。1920年代、藤田は30点以上の挿絵本を手がけ、あの天才ピカソでさえその半数に及ばなかったことを考えると、いかに挿絵本の世界に魅せられていたかがうかがえるでしょう。
本展は、1910年代以降に制作が始まり、戦後にまで至る藤田の挿絵本を一堂に集め、画家としての多面的な才能を紹介します。また、藤田が活躍した両大戦間のパリを中心に、同時代のエコール・ド・パリの画家たちが手がけた挿絵本も多数紹介し、近代ヨーロッパにおける挿絵本の魅力や背景を探ります。